2022年9月  ◇◇脳梗塞 発症 2日目 その1◇◇

  

 翌朝は、精神的には、落ち着いていました。

 外が明るいのと疲れがとれているからだと思います。

 「あれは夢であってくれ」という願いもむなしく、左の手と足の状態が昨日と変わらず、全く動かないことを確認し、これでは救急車を呼ぶしかないと。

 

 スマホを探し、119番に電話しました。

 2020年2月1日の8時14分と8時15分の2回緊急通報という記録が残ってます。いずれも私がかけたものです。なぜ2回なのかは覚えていません。

 目が覚めて、10~15分後には電話してたので、8時頃まで、よく寝たものです。

 その前に8時11分「0822」、8時12分「0230」、8時13分「082」という間違い電話をかけています。どこにかけようとしていたのか定かではありませんが、多分、広島の市外局番で「082 119」にかけようとした記憶が薄っすらとあります。脳梗塞ですから・・・4回目で、良く架けたと思います。

 

 口には、痺れがあり、上手く話せるか不安でしたが、話が通じ、ホッとしました。聞き返されることもなく、でも「〇〇ですね」と確認を怠らない、相手に不安感を与えないのはプロ対応だと。

 

 もう、頭を打つこともなく、救急隊員が分からないかもしれないと、外で待っていましたから、意外と冷静でした。救急隊員を見かけた時、随分と安心して、手を振っていました。

 

 金輪島港までコロ付のタンカに乗せられ、救急艇救急車で、20~30分で到着し、県病院に運ばれました。

 

 いとも簡単に、119番に電話できるんだと。こんな簡単に、救急車が来てくれるんだと。なぜもっと早く・・・と正直、思いました。 

 

 いろいろな人の声が 遠くに聞こえたけれど、反応しませんでした。私は、目を閉じたまま、起きていたけれど、安心して横になってました。恥ずかしいとか色々考える余裕はなかったです。

 ただ、救急艇、船は、興味があったので、見たくて。目を開けて「でかいなぁ」と。定期船より大きかったです。そして「何人おるんじゃろ」と。7~8人は、いたと記憶しています。 

 

2022年9月  ◇◇脳梗塞 発症 2日目 その2◇◇

 

 スマホが手元にあったのは救いでした。

 離れた場所に置いていたケースや電池切れのケースが良くあります。良く忘れて探します。建物の中だから伝い歩きが可能でしたが、左は、手も足も全く動かない状況でしたから、建物の外の移動は無理で、その時には、力尽きて死んでいたか、ひん死の状態で数日後発見されたと思います。

 スマホの依存度が高いことは、ある意味、命綱だろうと思います。

 

 脳梗塞を発症した時の考えるべき対応として考えること。

 一人でいることが気楽と考える人はいるので、その状況は仕方ないことです。

 

 発症後3時間以内なら脳細胞は再生し、回復度合いが全く異なるそうです。

 皆さんも、それだけは覚えて欲しいと思います。

 「なりふり構わず、すぐに救急車を呼ぶべき」と。

 

 発症した夜に、なぜ救急車を呼ばなかったか。

 呼ばないとしても、その時、誰かに電話で相談することはできなかったのか。

 

 考えてみると、私には、そんな時に「電話で相談するような信頼できる人はいなかった」ということで、孤独を痛感しました。 

 何よりも、私の体を心配し、何時でも、電話がかかってきても、快く対応してくれる人が身近にいたら、電話を掛けただろうと思います。

 

 それまで、一人でいることに不安を感じたことはなかったけれど、切実に不安を感じた出来事でした。自然体で、そんな人を探したいと今は思っています。そのためにも、今はリハビリを頑張ります。